leizenyasumiのブログ

時折自分の書いた詩とか、随筆とか、考えとかアップロードするブログなのです!

今日の私と明日の私

 今日の私は、明日の私を、命令することができるのでしょうか…もしできたら、明日の私は、その命令をきちんと従えて動くことが出来るのでしょうか…

日記

 三月三日。
 今日も、早めに過ぎってしまった。実は昨日より早く時間が流れきった。もう夕暮れのとき、春の夜なんて、普通、誰でも望まない。
 明日、雨、本当を言うと、もう嫌。夏のときならまだ良いが、もし晴れの続くとしたら、辛い日々でも、夜にでもまだたまっていた連想をひく匂いに耐えることでしょう。雨なんて、初春のときには、もう振り返したくない過去に強制に偲ばせることではないか?「しあわせ」と100回書いたら誰でも幸せになれるって昨日本の中で読んだけれど…手に入れないことこそ、いつも口にしてそう呼び上がるのでしょう?私は、もう溺れたのでしょうか。
 何もかも。もう凡そ毎日でもデジャヴュがでてきて、現実はいくらでも、もう夢のらしくと思わないことは得なかった。何もかも夢の中で見た気がする…もう私は疲れすぎて、こんなことに判断力が失ってたのでしょう。けれど、人は自分の知らないことに対して、どうやって正しい判断を出来るのでしょうか。今、あの蝋燭を見て、その場面も、夢の中で見た気がする、もうこれは今日の何回目なの?そもそも、もう何日間続いてこんな感じがしたの?これから一体何が起こるの?私の夢の中で、今でも思い返せばすぐ思い浮かぶあの全ての悲しい出来事、これから、本当に実現するの?いや、些かにも、こういうすぐ出てくる夢は実現するわけがないのでしょう、夢うつつ、自分はその状態に、惚れたんでしょう…そもそも春だよ、春!午後の三時くらいの日差しに照らして公園の水辺に歩いていて、そよ風はドキドキしていた心を冷やすこともできず、ただ目の中の光景に懐かしく感じて、自分はいくら冷静な人でも、こんなことに囲まれて何かを思い偲ばなくてはなれるか?
 分からない。どうか、明日、早くこないように。

随想

 三月二日。珍しかったろう。登山は、かなり楽しかった。ただ海抜352メートルの山を登ったけれども、いかにも楽しかった。のぼってる間、自分はこれからの旅のことをなんとなく想像しはじめた。大体の旅先でも決めたし、自分は頭の中では、すでに旅たつとき自分とともだちの姿を想像し始めた。いかにも考えすぎだろう。七月か八月、私は、旅をできるか?できたらどれほど長かった?長い旅だったら私は耐えるのか?それからともだちはついてこれるのか?そもそも本当に実現できるのか?私は……想像しか上手でないではないか?
 明日、また一日が稲妻のように飛んでいく、あさってはまた元の日々の続く、それからまた雨…人には、連続の晴れのとき雨の降ることは想像できるが、連続な雨の日では、晴れた日々を偲ぶことはできない。けさ、小鳥の囀りで、自分は目をさめた。春になって、再び晴れたの日、自分は如何にも落ち着いたまゝ続けて寝ることはできなかった。けれど、その「春」っていうことの到来でも、自分は実はやく二週間前あの連続の晴れた二十度でも超えた日々の暇な午後で一人で本を読むときそう気づいたことだろう。
 春っていうものは、いつも晴れ、囀り、空気の中の暖かい感触と繋がってるのだ。少なくともその到来は、ね。